感謝できない人にイライラしない自分になる
世の中には、何かをしてもらっても「ありがとう」も言えない人もいます。感謝できない人です。でもそういう人にイライラしている自分も嫌だったりしませんか?
本当は、「そういう人もいるんだ」と受け流すことができれば一番自分が楽です。例えば、どんなに自分がそういう人に対して感謝することの大切さを教えてあげようとしたところで、感謝できない人はいなくなるわけではありません。
それなら、自分が変わってしまう方が楽なのだと思うのです。つまり、感謝できない人に対してイライラしない自分になる・・・ということです。
感謝できる人とできない人の違いは何?
人に感謝できる人とそうでない人の違い。それは、自分が多くの人に支えられて生きていることに気づいている人と自分が自分の力で生きていると思っている人の違いではないかと思うのです。
私自身、人様に対して本当に感謝できるようになったのは、30代半ばを過ぎてからの話で、それまでは、人に感謝することが少ない人間だったように思います。
親に対しても当たり前という気持ちがあったためか、感謝できなかった。友人にも、周りの人に対しても。
そんな自分が変わったのは、辛い経験をしたからだと思っています。すべてを失って、もうダメだと思った時に、手を差し伸べてくれた人がいました。そして、その後も、自分が辛い時には多くの人が助けてくれた。励ましてくれたのです。
そういう挫折を味わって、そこではじめて、自分は自分一人では生きていけないし、今こうして生きているだけで多くの人に支えられているのだとやっと実感できたのだと思っています。
だから、感謝できない人に対して、何で感謝できないんだと糾弾するような立場には自分はいないのかも知れないと思っています。自分がそうだったのですから。
感謝できない人はいつかそうやって、辛い思いをして気づくことがあるかも知れない。一生気づかないかもしれません。
でも、人がどうであれ、自分は感謝できる人間でいたいと思うのです。そしてそれがすべてだと思っています。他人は関係ない、と。
他人を責める人間にはなりたくない
人に感謝するということは大切なことだと私は感じています。
でも感謝できない人に向かって、それはダメだと糾弾するのはちょっと違うような気がしています。いくら良いと思うことを実践していても、それができていない人を指さして責めるようになると、周りの人が離れてゆくような気がします。
ある場所で災害が起こった際に、自分の財産をすべて投げ打って被災した方のためにそのお金をすべて使った人がいました。
その方の行いが素晴らしかったので、ある場所で講演をしてほしいと頼まれました。その時その方は、「自分は自分の財産をすべて捨てて被災者を助けた。何故あなた方も同じことをしなかったのですか?」と話されたのです。
その方は二度と講演に呼ばれることはありませんでした。
いくら、人にためにやったことでも、いくら良いことであっても、それを他人に押し付けたり、それができない人を責めはじめた時に、周りの人は離れて行って、神様も応援してくれなくなるようです。
いくら良いことをしていても、それを他人に強要したら、誰も味方しなくなってしまう。そういう風にできているようです。
自分を磨こうとか、人格者になろうとか、良いことをしようと思ったとします。そして、そうやって、自分を磨いてきて、人格者になろうとして学んできて、最後の最後に陥る罠が「自分が正しいことをしているのだから、あなたも同じことをしなさい」と他人に自分がやっていることを強要してしまうことだそうです。
感謝しない人のことを責めてしまうのも、これと同じことなのかもしれません。せっかく良いこと(人に感謝する)ということをしているのに、それを他人にも強要した時点でもう罠にはまっていることになるのかもしれません。