完璧主義を治す3つの思考
完ぺき主義者というのは、とても疲れるものです。というのも人間そのものが完璧にはできていないからです。
人間はむしろ不完全な生き物であり、不完全さがまた人間である意味なのかもしれません。
もし全てが揃っていたら、生まれてくる必要すらないのかもしれません。人はみんな学んで成長するからこそ、人間である意味があると思うのです。
不完全なものだからこそ
人は人の完璧なところに魅力を感じるでしょうか?それとも不完全なところに魅力を感じるものでしょうか?
確かに何でも完璧にこなすように見える人はいます。でもそんな人は人間味がないように思われることが多いようです。
それよりもむしろ、完璧に見えて、不完全な人、おっちょこちょいな部分があるからこそ人間的な魅力を感じたりします。
自分を許す
完ぺき主義者は自分に厳しい人であることは間違いありません。だからこそ、ちょっとしたミスであったり、やり残り、そういったものが許せないわけです。
でもそのままでは疲れます。ですから、多くの人はどうやったら、完ぺき主義を治すことができるのかと考えます。
治すことはできます。それには最初の部分、つまり、自分に厳しいという点をまずは治すことです。
具体的には自分を許す習慣をつけること。自分に甘くなることです。
そんなことできるかい!という声も聞こえてきそうです。でも、全てはやってみなければ分かりません。自分を許す方法の1つは自分に声をかけてあげることです。
いいんだよ。これくらいミスしたって人間だもの、仕方がないよ。ちょっとしたことが気になる?それも分かるよ。
・・・という風に自分を否定しようとした瞬間に自分に優しい声を掛けてあげてください。自分を許す癖ができると、完ぺき主義も同時に治ってくると思います。
不完全だから磨かれる
人は切磋琢磨することで成長します。とがった性格の人が丸くなる・・・これは角の部分が削られて丸くなるからです。
丸が完璧だとすれば、角のある性格は不完全です。私が思うに、皆、角を持って生まれてくるのだと思います。そして、その角こそがこの人生で乗り越えるべき課題であったりします。
その角の不完全な部分。これは成長するためにあるものだとすれば、なくてはならないものということになります。
完璧を求めてもいいです。でも、完璧になる必要なんてありません。少しだけそこを目指すだけで成長はできるものですから。