自分の欠点や悪い所が直せない
自分の欠点というか悪いと思っている点には気づいているのだけれど、なかなかそれが直せないということもあると思います。
そういったことは私にもありますし、きっとほとんどの人がそういうことを一度は思ったことがあると思うんです。
程度の差はあるとは思いますが、誰にでも直せない欠点というのはあると思うんですね。
欠点より、長所を探す
自分の欠点を直すというと、とても立派なことに聞こえます。でも実際、これをやろうと思っても、なかなかできない。
欠点てなかなか直らないものです。もし、簡単に直るのであれば、欠点とは言えないでしょうから。
私も自分の欠点は自覚していますが、それを無理に直そう・・・とは思っていません。なかなか直せないと思っているし、それに欠点に目を向けると思わぬ弊害が出てくるのです。これについては下記で説明します。
いずれにしても、欠点に目を向けるよりも、私は、長所に目を向けた方が良いと思っています。自分の悪い点に悩んだり、引きずったりするよりは、長所に目を向けること。その方がずっと前を向いて歩いてゆけるような気がします。
欠点に目を向けるのは、後ろ向きで歩いているようなもの。これでは前がよく見えないのです。
思わぬ弊害
自分の欠点・・・例えば、つい不平不満を言ってしまうことだったとします。それを直そうとすることは素晴らしいことだと思うんです。
でもそれをやると、他人の不平不満にイライラするようになります。何故かというと、人は自分に許していないものを他人にも許さない・・・という特徴があるからです。
悪口を言わない・・・そう自分に課したりすると、悪口を言っている人にイライラしたりします。これでは元も子もないのです。
でもこれはよく精神世界の勉強をしている人、人格者になろうと頑張っていらっしゃる方々がはまる罠なんだと思うんですね。
沢山のいいことを学んで最後の一歩手前でこの罠にはまる。この罠とは、こんなにいいことだから、あなたもやりなさい・・・と他人に変わることを求めてしまうことです。これをやってしまうと、罠にはまったことになります。
すると小さなことでもイライラしてしまう。他人にイライラするのです。人格者になるのは、自分のためだったはずです。他人は関係ないのです。人格者になっても、まわりには悪もいれば善もいる。まわりは変わらないのです。
しかし、欠点に目を向けてそれを直そうとすると、他人も変えたくなる。それが大きな罠です。
欠点は直接直そうとしない
「私は短気で困っているんです。すぐ、他人にイライラしてしまいます。」
・・・という方がいました。彼は他人のちょっとしたことが許せなかったようです。マナーの悪い人を見たらイライラしたり、時にはどなりつけたりすることもあったとか。
そこで、彼は最初怒らないように頑張ったそうですが、これが全くうまくいかなかった。ストレスだけがたまっていったんです。怒りを抑圧したからですね。
そうやって何年間も短気を直そうとしたのですが、うまくいかず、苦しかったようです。ところが、さらに数年が過ぎて、彼の短気はどんどん改善されていったそうです。
何をやったか・・・というと、短気そのものを直そうとするのをやめたのです。さらに、自分の短所だと思っていた点を認めてしまうことにした。短気だけど、考えてみれば、それは強気ということで、思ったことをはっきり言えるということでもあるから、仕事では役に立つこともあるか。
・・・という風に欠点=悪いこと・・・という考え方をやめて、欠点ではあるけど、そのお陰で助かっていることもあるさ・・・と弱さを認めた上で、それを受け入れてしまったわけです。
自分に甘くなったわけですね。ある意味。ところが、その効果は絶大でした。自分に甘くなった彼は、他人にも甘くなったんです。すると彼の短気はどんどん改善されていきました。
彼はどこかで自分にとても厳しい人だったんです。だから、同じように他人にも厳しかった。でも、自分に甘くなったことで、他人にも甘くなれたんですね。