正しい正しくないで判断することをやめると自分が楽に生きられる
時に、常識を疑ってしまうような人に出会ってしまうこともあるかも・・・しれません。人としてどうなのか?人間として間違っている・・・・なんて思ってしまうほどの人も中にはいるかもしれません。
でも、そうやって、相手を裁くこと、相手を評価するということ、正しい、正しくないで相手を判断することは、私は結果的には自分を苦しめることになるのではないか・・・と思っています。
それは何故かと言うと、何かに評価を下す、もしくは判断すると、その自分が評価できるもの、正しいと思っていること以外を許せなくなるから・・・です。
怒りっぽい人・・・よく聞きます。そんな人にはきっと、その人の中で「正しいこと」が無数にあるのではないでしょうか。だから、その正しいことに当てはまらない人や物事に出くわすとイライラしてしまう・・・。
もっと楽に何があっても笑い飛ばして生きた方が私は楽だと思っています。
正しさを手放すことで楽になる
自分が正しい・・・そう思うことが習慣になっていると、イライラしやすい自分になります。世の中もどこか暗く見えてしまうことがあったり、不安に押し潰されそうになることもあるかも・・・しれません。
だからこそ、そんな自分を苦しめる「正しさ」なんかは捨ててしまった方が自分が楽になれると思うのです。
例えば、人を正しいとか正しくないで判断してしまうような時、どうやったらその正しさを手放せるでしょうか?
それはきっと、人というのは、自分の立場で見ただけでは、見えない部分、わからない部分がある・・・ということに気づくことではないかな・・・と。
例えば、同じマンションに住んでいる人がいます。他の人は廊下やロビーなどで会うと笑顔で挨拶をしてくれます。でも、Aさんだけは、こちらが挨拶しても無視です。顔も合わせようとしません・・・。
この時、挨拶をできない人は人としてどうなの・・・?と相手を裁くこともできます。正しいとか、正しくないとかで見れば、確かに挨拶をしても無視する人は正しくないのかも・・・しれません。
でも、もしこのAさんが生まれつき耳が聞えない人だったら・・・?
挨拶をしないのは聞えないからだったり、顔を合わせようとしないのは、その生まれつきの障害で対人関係で嫌な思いをしてきたからだったら・・・?
きっと感じ方も変わるし、人としてどうなの?と思ったことも恥ずかしく思えてきたりするかもしれません。
相手のことは、自分の立場で見ただけではわからないことが多いものだと思うんです。相手の事情というのは、100%わかることなどはできないと思います。
そう考えると自分の立場から相手を正しいとか、正しくないとか判断することもあまり意味のあることではないのかも・・・しれません。
「きっと何か事情があるのだ」
そう思うことで、自分が楽に生きられると思うんです。そう思い続けることを習慣にすれば、もし人を正しい、正しくないで判断することが自分の癖になっていても、それをやめられるし、自分の中にある「正しさ」というものも手放せると思います。